[PR]血液型生年月日で運命診断:無料お試しも本格鑑定!

第XXXII章 さやうなら甲子園阪~パーク&寳怎tァミリーランド篇(上)


.

左:二千二年度いっぱいで、阪神間の二大遊園地、西宮市の甲子園阪神パークと宝塚市の宝塚ファミリーランドがその半世紀以上に亘る歴史に終止符を打った。どちらも大手私鉄資本による郊外型遊園地の典型であり、阪神間のみならず関西一円の市民にとって戦前より親しまれていた伝統ある大遊園地であった。阪神間「細雪」文化圏で生まれ育った僕にとっても子供の頃から最も慣れ親しんだ、思い出深い遊園地なのである。それが二つ同時になくなってしまうとは、子供時代の思い出が消え去ってしまうようで、非常に寂しい。僕の所属している学会、社団法人現代風俗研究会のフィールドワークとして、消えゆく二大遊園地を廻る会が催されたので、三月の氷雨降る非常に寒い一日、僕と風太(風太は阪神パークのみ)もカメラを持って参加したのである。これは阪神パーク。建物はボーリング場で、この建物に沿って左端が園の正門である。
右:正門からボーリング場に沿って通路を歩き、右に曲がって動物園となる。そこに立つ歴史のありそうな旗竿。


 

左:伝統的な遊園地にはつきものの、ビックリ鏡。
右:ボーリング場の廃ボールを利用したゲーム。


上:雨のため、屋根の下にずらっと並べられたコイン動物。これだけ並ぶと壮観である。これに乗って近所に買い物などに出かけたら楽しいだろうな、など馬鹿なことを言いつつシャッターを押した。今はどこか地方の遊園地にでも払い下げられたのであろうか。


 

左:年老いた二頭の雌印度象。僕が子供の頃、餌をあげたことのある象である。この二頭は千葉に新設された老象ホームで余生を送ることになり、その搬送作業はテレビのドキュメンタリーとしても放送されていた。涙涙であった。
右:既に誰?もいなくなったサル山(阪神パークでは“猿島”と称していた)。ここは日本猿のほかに雑種犬や猪も一緒に飼育されているので有名であった。阪神パークは震災後は本格的な遊園地として復活することはなく、入園無料の住宅展示場として細々と余命を保っていたのであるが、雨のせいか来場者も少なく、既に動物も少なく、非常に寂しく、悲しい雰囲気であった。



[PR]恋愛の悩みなら:こころtoからだで診断!