

左:蛸薬師通の古い京町家(豆腐料理店となっている)。かつてはこのように葦簾(よしず)を垂らした建物がずらっと並び、エリアによっては近代洋風建築も数多くあった京都の街だが、この写真を見ても分かるように今では町家の方が少なく、大半は不細工極まりなく何の美意識もない現代建築と化してしまっている。歴史文化都市としては、世界水準からすると最早B級といわざるをえないだろう。無能で愚かな行政の責任である。
例えばパリやロンドンは、有名なマルロウ法(フランス共和国の文化財保護法の通称)などで、景観を厳しく守っている。しかしそれによって経済的な発展から取り残され博物館都市と化しているかといえば、そうでなはい。むしろ、自らの歴史と文化に誇りを持ってそれを守り通すことにより、文化都市としてのみならず、政治都市として、そして経済都市としても世界の第一級の都市としての地位を保っているのである。然るに京都は、大阪は、神戸は・・・・・・。自らの歴史を恥じるがごとく、エコノミックアニマルと化し歴史的景観を破壊しまくっている。伝建地区三條通でも代表的なランドマークだった第一勧業銀行京都支店、京都のメインストリート烏丸通と交差する烏丸三條に威風堂々たるファサードを見せていた辰野金吾設計の明治の赤煉瓦建築が、日本建築学会挙げての反対を押し切り無残に破壊されたのは、バブル経済などとうに崩壊してからのことである。そごう心斎橋本店など、未だに破壊の危機に瀕している重要建造物は数限りない。そうすることによって関西の経済的地位は向上しているのか? それどころか、首都圏との相対的な格差が広がる一方なのではなかろうか。いい加減に目を醒まさないと、近畿圏の将来には明るいものを見出しえないと言わざるを得ない。
中:中京の街にある、大正建築らしい呉服問屋。下京〜中京にかけては、このような小〜中規模の近代洋風建築がまだまだ沢山残っている。
右:隣接する土蔵と煉瓦蔵をつなげて再利用した、雑貨店。このように物の値打ちの解る町衆ばかりだと、もう少し町並みが残ったのであろうが・・・。

上:国指定重要伝統的建造物群保存地区である、三條通。その中でもシンボル的存在であるこの建物は、国指定重要文化財の明治建築(1906年)、辰野金吾設計の旧日本銀行京都支店(現京都府立総合博物館)である。赤煉瓦に白い御影石の帯を通した俗に“辰野式”と呼ばれるフリークラシシズム様式による見事な銀行建築で、内部も忠実に復元されている。それにしても、向かいの会社の看板と、電信柱が著しく景観を損ねている。伝建地区ぐらい電線を地下に埋設してはどうかと思うのだが、鴨川にポン・デ・ザールの粗悪なコピーを架けようなどという愚かな計画に出す金はあっても、こういうところに出す金はないらしい。
三條通は明治の最初、近代京都の最初のメインストリートとして発展を遂げたため、明治期の近代洋風建築が多数現存している。狭い三條通は市電を通すことができなかったため、明治後期以降はオフィス地区が烏丸通などに移ったことも古いビルが多く残る要因となった。内部の写真は⇒![]()

上:三條通の景観保存運動に火をつけた、中京郵便局。この素晴らしい明治建築は取り壊しの危機にさらされたが、大揉めに揉めた末に外壁保存(内部の鉄筋による建替え)と屋根の復元により、外観は完全に元の姿を保っている。設計は逓信省営繕課(吉井茂則・三橋四郎)、竣工は明治35年(1902年)。