
左:三條通の明治赤煉瓦建築群中最も異色の作品、旧家邊時計店。建築当初は高く時計台が聳えていたとのこと。これも煉瓦造ではなく、木造煉瓦張りの建築である。一階正面の三連アーチに柱がないが、このような芸当も煉瓦張りだからこそできることである。ちゃんと煉瓦を積み上げていたら、柱なしでアーチを支えるなどという不気味なことは物理的に不可能である。明治23年(1890)と京都でも最古級の洋館である。
右:麩屋町三條界隈に集中する京都の三大超一流老舗旅館の一つ、麩屋町三條下ルの炭屋旅館。近くの柊家、俵屋とともに、見事な数奇屋建築である。一泊二食付で最低三万円以上はするが、本格懐石料理が出るわけだから決して高いともいえないだろう。

左:町家の玄関に素敵な門灯がついていた。こういった小物を見つけるのは、古い建築を見る醍醐味の一つである。
中:京都はまだ街中いたるところに、仁丹の広告入りの昭和初期の町名表示板が残っている。一番上には、右から左に中京區と書いてある。
右:京都は道が狭いので、車が建物をこすらないように角に大きな石を置いて壁を保護しているところが良くあるのだが、ここでは更にその石を保護するために大掛かりに目立つ柵で囲ってある。これでは石は用をなさず、何のためだか最早用途不明に陥っている。殆ど庭石扱いだが、鑑賞するには赤い柵が邪魔だし、製作者の意図が全く読み取れない。見ようによっては、石が逃げないように柵で囲っているようにすら思えてくる(^_^;)。いわゆる“超芸術トマソン”の一種といえよう。
ミニコラム「京都の地名表記法とわらべ歌」
京都の洛内の住所表記には、殆ど町名を用いない。番地も使わない。それじゃどうするのかというと、京都の街は完全な碁盤目状で、しかも殆どの道には名前がついている。従って縦軸(南北)と横軸(東西)の道の交叉点を基点に、そこから上ル(北へ)、下ル(南へ)、東入ル、西入ルで全て用が足りてしまうのだ。
例えば、伯爵の母校の正門は今出川通に面していて、烏丸通との交叉点(烏丸今出川)から東に入ったところにあるので「京都市上京區今出川通烏丸東入ル」になる。西門は烏丸通に面していて烏丸今出川の交叉点の北側にあるので、「京都市上京區烏丸通今出川上ル」になる訳だ。正式にはそのあとに町名と番地(京都市内はあの悪名高い住居表示法は一切施行されていないので、○番○号という住居表示ではなく○番地という地名地番のままである)がつくのだが、公的書類以外にはまず用いられない。大きな通に面した小さな民家などの場合、「京都市下京區五條通河原町西入ル南側」などと通のどちら側か書き加えることもある。また、名前のないごく小さな路地(ろうじ)などの場合、「○○通●●下ル三丁目東入ル」等と表記することもある。この場合の三丁目は町名の一部としての(例えば「新宿區新宿二丁目」のような)三丁目ではなく、交叉点から三本目の路地ということで「三筋目」とも表記する。郵便も宅配便も、全てこの京都式の表記法に従って配達されるのである。
全ては網羅していないが、中心部の東西の通についてはわらべ歌で憶えることができる。運送会社、タクシー会社など、新入社員はまずそれを覚えるところから始まるそうだ。北の丸太町通から南の五條通まで、「丸竹夷に押し御池♪ 姉さん六角蛸錦♪ 四綾佛高松萬五條♪」となっている。即ち丸太町・竹屋町・夷川(家具屋街)・二條・押小路・御池・姉小路・三條・六角・蛸藥師・錦小路(市場で有名)・四條(デパートの並ぶ繁華街)・綾小路・佛光寺・高辻・松原・萬壽寺・五條(国道一号線)、以上の計18の通である。中心部の南北の通についても同様のわらべ歌があるそうだが、今では廃れてしまって一般には唄われない。
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