上:緑豊かな伏見港と、白壁の酒蔵。電柱も現代建築も何もなく、奇跡的に江戸期から変わらぬであろう景観が保たれている一角である。
左:坂本龍馬の定宿として、そして「寺田屋事件」の舞台として名高い旅籠「寺田屋」は、今でも往時の姿そのままに、旅館として営業している(日中は見学可)。ここも元々は船宿で、伏見港の岸壁に直接面していた。今では向かいにも建物が建っているが、かつては道路をはさんですぐ運河の岸で、船が接岸できるように石段になっていたとのこと。
右:寺田屋の旧浴室(現在の宿泊客用の風呂は別にある)。かなり小さな風呂桶(文字通り桶である)だが、この中で坂本龍馬や薩摩藩士たちが入浴した訳である。
左:なんとも古風なタイル張りの洗面台。
中:寺田屋玄関においてある、伯爵好みの不気味な調度品。
右:これも戦前の琺瑯製だが、既に京都市と合併してからのものであることが「京都市伏見區」という表記から判る。
左:寺田屋の並びにある、大正末〜昭和初期のものらしい洋館付棟割長屋。
右:同じく大正末〜昭和初期のものであろう、比較的大きな洋館付住宅。明治時代の富豪の住宅には、迎賓施設としての本格的洋館と居住スペースとしての数奇屋風和舘を併せ持つ豪邸が多かったのだが、中産〜中流階級(といっても当時の社会構成ではまだまだエリート層ということになるが)まで生活の欧化が浸透する大正期になると、和風住宅の玄関脇に洋館をくっつけたこのようなタイプの「文化住宅」が阪神間など当時の新興住宅地を中心に広まった。そして更に庶民層にまで欧風文化が浸透した結果が、左のような洋館付長屋なのである。ほんの十年ぐらいまで、大阪市内などでもこのようなタイプの長屋はあちこちで見ることができた。なお、関西地方で木造集合住宅のことを「文化住宅」と呼ぶのは、玄関、トイレ、台所などが共用のアパートより、玄関、トイレ、台所が各戸に付いている“文化的”な住宅という意味で、やはり語源は大正時代の文化住宅に遡るのであろう。