Cahier du Cinema
監督:ルキノ・ヴィスコンティ伯爵 (1963年・イタリア、1964年カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品)
僕は、子供の頃から映画が好きである。外国語に堪能な父と、魔都上海で育った母の影響であろう。但しちょっと趣味が偏っているかもしれない。このHPの映画コーナーの最初を何にするか随分考えたのだが、「伯爵」と渾名される僕であるから、本物の大貴族出身である監督が自らの出身階層を描いたこの作品を選んだ。
ルキノ・ヴィスコンティは1906年、イタリアきっての名門貴族ヴィスコンティ公爵家の次男として生まれた。同家は1277年以来ミラノ公国を統治してきた大貴族である。従って、彼にとって貴族社会、社交界を描くことは自らの生まれ育った日常を再現することに過ぎず、社交界の描写では右に出るものがいない。若い頃は「赤い伯爵」と呼ばれ、共産党の出資でネオリアリスモの傑作「赤い嵐」などプロレタリアート映画を撮影するが、以後は耽美的、オペラ的美学に彩られたデカダンスな作品が多くなる。
なお彼はゲイであり、俳優ヘルムート・バーガーと恋愛関係にあったことでも有名である。「地獄に堕ちた勇者ども」、「ルードヴィヒ〜神々の黄昏」、そして究極の美少年映画として知られる「ベニスに死す」などゲイテイストに溢れた作品も多い。
さて、「山猫」である。超大作が多く、何を代表作とするか議論の別れるヴィスコンティであるが、この「山猫」も代表作と呼ぶに相応しい傑作の一つであり、76年没の監督の作品としては、比較的後期のものになる。
時代は前世紀半ば過ぎ、イタリア統一戦争期のシチリア島が舞台となっている。中世以来ローマ教皇領、ヴェネツィア共和国、フェラーラ公国など多くの中小国家に分かれ統一国家がなかったイタリア半島で、シチリア島はナポリを首都とする両シチリア王国の一部をなしていた。主人公であるサリーナ公爵は同国のブルボン王家(ハプスブルク家と並びヨーロッパの名門中の名門であるフランス・ブルボン家の分家)の重臣、という設定である。
従って物語はイタリア統一戦争と同時に進む。サルデーニャ王国サヴォイ王家の王ヴィットーリオ・エマヌエーレU世とその宰相カヴール伯は、イタリア民族、イタリア半島を一つの国民国家として統一すべく、イタリア統一戦争を遂行する。上からの統一運動だけではなく、平民のガリバルディ将軍も赤シャツ隊を組織してその戦線に加わり、遂にイタリアの統一は達成されるのであるが、それは同時に近世から近代へ社会が移り変わっていく過程でもあった。旧体制の支配階級であるサリーナ公は統一戦争後の混乱を上手く乗り切る策士であったが、そういう自分の変わり身を潔しとせず、なおかつ旧貴族がいずれ新興ブルジョワ階級にとって替られる運命にあることを冷徹に見ぬく目をも持っていた。映画は歴史劇として、家族劇として、そして公爵の心理劇として重層的に展開し、それを絢爛たる衣装、美術、音楽が重厚に盛り上げる。
配役は主人公サリーナ公にバート・ランカスターを充てているが、どちらかというと野卑なイメージの西部劇俳優に大貴族を演じさせそれが見事なはまり役であったということでも公開当時は話題となったそうである。公爵の甥タンクレディ役のアラン・ドロンも大変に若い。僕の好みではないが確かに美しい俳優であり、演技もいい。タンクレディと恋におちる新興ブルジョワ村長の娘アンジェリカを演じるクラウディア・カルディナーレも妖艶である。
三時間を超える大作であるが、時間の経過など気にならない素晴らしい一時を得られる傑作であろう。フロックコートや燕尾服(モーニングコートに非ず、夜会服である)、懐中時計、鼻眼鏡など当時のファッションも見応えがある。また、実際の貴族の館を使って、そして本物の宝石を用い撮影しているので、美術に注意を払って観るのも面白い。
「地獄に堕ちた勇者ども」
監督:ルキノ・ヴィスコンティ(イタリア)
これもヴィスコンティ伯の作品。1930年代のドイツで、政権を奪取したばかりのナチス党=ドイツ第三帝国政府に食い物にされ、滅ぼされていく鉄鋼財閥エッセンベック男爵家を描く、デカダンスで耽美な作品である。主演のヘルムート・バーガーこそヴィスコンティ伯の生涯のパートナーであり、伯爵の作品と切っても切れない名優である。三十年代といえばドイツのバウハウスをはじめ建築や美術の世界で世界的な新潮流が次々と生まれた時代であるが、当時の都市の雰囲気、製鉄所、エッセンベック家の館など、この監督ならではの徹底的にこだわりまくった美術もまた見物である。「山猫」よりは半世紀後の時代が舞台であるので、ファッションの変遷もよく判る。「山猫」ではバート・ランカスターが朝の身支度でシャツにデタッチドのウィングカラーを附ける場面があるが、本作品ではヘルムート・バーガーがデタッチドのレギュラーカラーを引き千切るシーンがある。まだシャツのカラーはデタッチャブル(取り外し式)な訳だが、既にレギュラーカラーが一般的となっており、フロックコートではなく普通のスーツが男性の日常着となっているのである。
そしてゲイテイストも濃厚。主演のヘルムート・バーガーが祖父であるエッセンベック男爵の誕生パーティーで女装して踊り狂うシーンはあまりにも有名であるし、ナチスの親衛隊の饗宴シーンなども、乱交パーティーを連想させる。
なお、この作品はヴィスコンティ伯の「ドイツ三部作」と呼ばれる作品のうちの一つである。
「ベニスに死す」
監督:ルキノ・ヴィスコンティ(イタリア)
これもドイツ三部作の一つ、そしてあまりにも有名な耽美派美少年映画である。
原作はドイツのノーベル賞作家トーマス・マンの難解な心理小説。それをこの映像作家は、極度に科白を控えたストイックな作劇で、「美」そのものといっていい傑作に仕上げている。
舞台は二十世紀の初頭、丁度百年ほど前のヴェネツィアである。リド島の超高級リゾートホテル、オテル・デ・バンに、ドイツの初老の作曲家グスタフ・フォン・アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)が静養のためにやってくる。アッシェンバッハは原作では作家だが、トーマス・マンがマーラーをモデルに創造した人物であるといわれているので、ヴィスコンティはこれを作曲家と設定し直したのだ。
アッシェンバッハは自らの功績で男爵に叙された新興貴族、功成り名を遂げた芸術家だが、俗臭のない純粋な人物であるゆえ、創作に行き詰まり神経衰弱を病み、転地療養に来たのである。
当時のヴェネツィアはハプスブルク皇室の所領である。即ち、まだサヴォイ王室による統一イタリア王国には編入されていない。従ってハプスブルク朝オーストリア・ハンガリー帝国の各地から、様々な民族の「帝国臣民」が自国の保養地として、観光にやってくる状況にあった。ウィーンから来たと思われるアッシェンバッハに続き、同じくハプスブルク帝国内であったポーランドのクラクフから、ポーランド貴族の一行が到着する。その中に、美少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)がいた。
映画はこの美少年に魅せられ、内部から「壊れていく」老作曲家をひたすら静かに追っていき、そのままクライマックスにいたる。テーマ曲として用いられているグスタフ・マーラーの交響曲第五番の第四楽章「アダージェット」が疫病(コレラ)の流行により観光客が次々に逃げ出すヴェネツィアの街、そしてそこを彷徨うアッシェンバッハに絶妙にかぶさり、死の香り濃厚なデカダンスの極致とも言える映像美を生み出している。
何度観ても飽きることのない、大好きな一本である。
「ルートヴィヒ〜神々の黄昏」
監督:ルキノ・ヴィスコンティ(イタリア)
本作品も、“ドイツ三部作”の一つに数えられる。いずれ劣らぬ絢爛たる豪華さで以って特徴とされるヴィスコンティ伯の作品の中でも、其の極め付きといえる煌びやかなる美術を誇る超大作である。
作曲家リヒャルト・ヴァーグナーに心酔し、また建築に異様な情熱を燃やしかのノイシュヴァンシュタイン城をはじめ数々の城を建立し、最後は狂死した「バイエルン(ババリア)の狂王」ことヴィッテルスバッハ王家のルートヴィヒU世を主人公に、王の18歳から湖水における謎の死までを、あのヘルムート・バーガーが見事に演じ切っている。またルートヴィヒ王の従姉でヴィッテルスバッハ大公家からオーストリア・ハンガリー帝国の皇室ハプスブルク家に嫁ぎ皇帝フランツ・ヨーゼフT世の皇后となった(後に暗殺より悲劇的な死を遂げる)エリーザベトをロミー・シュナイダーが演じている。
実際に数々の城を使って行なわれたロケと、本物の金銀財宝を用いた衣装の豪華さに観る者は圧倒される。後に統一ドイツ帝国の初代皇帝となるヴィルヘルムU世の許でドイツ統一を目指していたプロイセンの宰相オットー・フォン・ビスマルク公爵の鉄血政策に翻弄されるルートヴィヒ王は、小国の君主として自らの国家を守るための何ら有効な手段を講じることも出来ず、現実から逃避して美に耽溺していくのであった。ゲイでもある王の、“君主に生まれてしまった芸術家”の悲劇に、観る者は涙せずにはおれないだろう。